捕われたジャーナリスト

Francesca’s story
2014年3月14日 Gustavo Hernandez Acevedo

フランチェスカの話

イタリア人カメラマン、フランチェスカ・コミッサーリの体験については、既にこのブログで取り上げた。しかし、先週罰則無しに解放された後でも、彼女の厳しい試練は完全には終っていない。

完全な話はパラグアイ共和国の首都アスンシォンの主要紙ABC Colorによる、広大ではあるが優れたリポートで詳しく読むことができる。

コミッサーリは、アルタミラ広場で起きたプロテストを取材していた際に、自らがどのようにして国家警備隊に捕らえられたのかを語っている。しかし、2月28日に彼女に降り掛かった逮捕という試練は、始まりに過ぎなかった。

(コミッサーリを含め)勾留された者は皆、ベネズエラの最も重要な軍隊基地があるフエルテ・ティウナへと連れて行かれた…。女性は男性から隔離され、それぞれ小さな部屋の中にみな一緒に詰め込まれた。
部屋を出ることができたのはトイレに行く時だけだったけれど、それは前もって手錠につながれてからだった。
男性は常時手錠をかけられ、床の上に眠ることを強いられていた。女性は眠るためのマットを与えられてはいたものの、その待遇に大差はなかった。

その夜、とらわれの身となった人々はコップ一杯の水さえ飲むことができなかった。土曜日の朝、彼らにはアレパ一個が、そして正午にはいくらかの米が与えられた。その後は、一切食事が与えられることはなかった。水さえも。同じ日の午後7時、彼らは裁判所へ移送された。全行程が終ったのは日曜日の朝7時であった。法廷審問の間中ずっと、フランチェスカと他の者たちは手錠でつながれたままだった。

しばらくしてフランチェスカは全ての罰則を免れたものの、彼女のカメラ機器は押収された。
しかし数日後、彼女はカメラが人気のE-コマースサイトで早くも売りに出されているのを見つけた
その時の驚きといったら、言葉も無いくらいだった。

最も悲しいのは、フランチェスカ以外にも同様の被害に遭った者がいるということだ。ベネズエラ全国報道人組合(SNTP)によると、ジャーナリストの22人が当局に報道機器を盗まれている

ジェームズ・ボンドの筆者、イアン・フレミングのとある名言をいいかえるなら、こうだ。
「1回なら偶然、2回なら偶然の一致、では22回は…?それは絶対に意図的な戦略だ。間違いない。」

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