#SOSVenezuela en Japón 活動後記

SOSVenezuela en Japon5月18日、東大の本郷キャンパス周辺でのSOS Venezuela en Japónの活動を無事に終えた
ベネズエラ人や日本人、その他の国籍の参加者の計14人が集まり、ベネズエラの現状を記したパンフレットを歩行者に配布した。
参加者は関東圏から足を運んでくれた10代後半から50代。全員で手分けし、利用者の多い駅前や、キャンパスの門前を中心に5カ所に分かれたポイントで配布と呼掛けを行った。

顔を合わせたことのない人々が、「ベネズエラの実情を日本の人々に伝えたい」という思いを胸に行ったのが、今回の「ベネズエラについて知ろう」活動だった。

たかが十数人が集まってチラシ配りをしただけで大げさな、と思われるかもしれない。
けれど、現在のベネズエラ政府による深刻な人権侵害緊迫した状況日本でのベネズエラの状況に関する認知度の低さを考えると、集まった人の決心と勇気は生半可なものではなかったと思う。
そしてこの活動を実現させるのも、容易ではなかった。

日本でもSOS Venezuelaを

私にはベネズエラに大切な人々が沢山いる。
彼らは母国を愛している。しかし、ベネズエラでの生活は日本に比べてなかなかハードだ。
私の友人の母親は病気だが、薬を手に入れるのは簡単ではない。トイレットペーパーも主食のトウモロコシ粉も、一日中街をかけずり回ってようやく手に入るか否かだという。停電は頻繁に起こり、ネット環境も安定しない。
「ベネズエラ人だったら、親類に必ず一人は誘拐か殺害された者がいるよ。それが、ここの『普通』なんだ。」
と、友人は屈託もなく語る。

そうした日常的な憤りを背景に、学生を主体とした反政府デモが火を噴き、その火が一挙にベネズエラ全土をなめ尽くしたのは2月のことだった。
そのニュースを知るや否や、私はベネズエラの不穏な状況にいても立ってもいられなくなった。
友人らは無事だろうか。ベネズエラの裏側にある日本にいて、自分ができることはないだろうか―。

「今日大学に着いたら突然爆弾が放り込まれて、煙の中で薄目を開けると目の前で知り合いがコレクティボに無惨に殴られていた。でも自分はどうすることもできずに立ち尽くす他なかった。」
と吐露する友人の言葉に、どう答えていいのか分からず、聞くことしかできない自分を不甲斐なく思った。寄り添うことの難しさを痛感した。どんな言葉も上滑りしているように思った。

デモが頻発するようになって以来、以前に増して、寝ても覚めても彼らの「生存」が心配でたまらなくなった。銃声や怒声、悲鳴や火薬の臭いにつつまれ、恐怖と苦悩の日々に「精神がどうにかなってしまいそうだ」と友人は言った。私はベネズエラ本国の友人とより密に連絡をとり、当ブログの野田さんとコンタクトを取るなど、ベネズエラ情勢のキャッチを進めてきた。

ブログの翻訳をする中で、ベネズエラについて今まで知らなかった多くのことを学んだ。知れば知るほど人権がこれほどまでに蹂躙されることが、人間社会であっていいものか、と唖然とした。

そのような中で「私は#SOSVenezuelaを東京でも実現できないか」と考えるようになり、思い切って企画を立ち上げることを決意した。

#SOSVenezuelaは、ベネズエラで起きている学生達の抗議運動に共感した世界中のベネズエラ人やベネズエラに関心がある人々が立ち上がり、独裁政治や人権侵害に対してノーを示す運動だ。しかし日本のように、ベネズエラで今起きていることを知っている人は非常に少ない中で「ノー」と主張するよりも、他にやるべきことがあるのではないか。
そう考え、SOS Venezuela en Japónではベネズエラの現状をより多くの人々に知ってもらうことを活動の主眼とすることに決めた。

底知れぬ不安

同時に、日本に暮らすベネズエラ人との絆作りも地道にすすめていった。
まず最初に、私は在日ベネズエラ人のコミュニティーに参加した。
コミュニティーには心良く受け入れてもらえたものの、いざSOS Venezuelaの声掛けをしたところ、予想以上に反応は薄かった。

新しい環境でも物怖じしないベネズエラ人の気質や、政治の話題はタブーとなっている雰囲気のせいか、在外ベネズエラ人同士のコミュニティの結束はあまり強くないように見受けられた。
まして今回のイベントは、母国の実情を伝えるということで、どうしても政治色が付きまとう。
日本に住むベネズエラ人は数が少なく、全国に散らばっている。東京でこのようなイベントに参加すれば、個人の特定は容易である上に、そのことが将来ベネズエラに帰国した際にどのような影響を与えるかは予測不能だ。
幾人かのベネズエラ人と会ってみて気づかされたのが、在日ベネズエラ人が強く心中に抱くこうした不安だった。

協同してくれるベネズエラ人集めは、想像していたよりもずっと難しかった。

また日本での外国人による政治活動も、様々な問題があり容易ではない。
ベネズエラ人の中には、何度か行動を起こそうとしたものの、法的手続きに関する知識不足や、役所とのやりとりの際の言語の問題、万が一の場合の国外退去に対する懸念など実行までに幾つものハードルがあり、諦めていたという人もいた。

私は自らのプロファイルとベネズエラに対する想いを伝えつつ、活動に際して難点を説明しながら、在日ベネズエラ人の一人一人と連絡を取っていった。

いくつかの難題

企画から開催までのおよそ二ヶ月間、なによりも困難であったのは、日本に暮らすベネズエラ人と連携を図ることだった。
私はスペイン語を巧みに操ることができない。
だからベネズエラ人ホストとのやりとりはほぼ全て英語。
ベネズエラ人が本音を言うときはやはりスペイン語であるから、そうした彼らの心情を汲み取るにはどうしても高いレベルのスペイン語が不可欠だと思った。日本人ホストである私がスペイン語に堪能でないということは、ベネズエラ人の信頼を得る上でもマイナスだったかもしれない。それに当然、ベネズエラの最新情報の多くはスペイン語で流通しているため、情報を素早く読むことができないことも私にとってフラストレーションであった。

ある程度基盤が整った時は、すでに最初の大規模デモから約2ヶ月を経ていた。
4月中旬、ようやくFacebook上でイベントページを作り、企画を詰めながら当日の参加者を募集し始めた。

それからの一ヶ月は、ベネズエラ人ホストとの顔合わせや、法的手続き、直前の準備など怒濤の毎日を送った。特に道路交通法や地域毎に異なる道路使用規定に戸惑ったが、参加者が多国籍になることが予想されたため、法を逸脱しないという点については始終神経を尖らせた。
開催の一週間は、ベネズエラ人ホストと二人三脚で役所巡りや綿密な打ち合わせに奔走した。

直前になっての迷い

そんな中、ベネズエラ人参加者から「もっと多くのベネズエラ人が参加してくれたら…」という声があがった。
知り合いのベネズエラ人に声をかけても音沙汰が無いか、あるいは「日本でそんなことをして意味があるのか」「活動の目的がはっきりと見えてこない」といった消極的な返事を受け取ることがあり、参加者内部で士気が殺がれていった。

当日が近づくにつれ、私自身の不安もまた募っていった。
「参加者は集まってくれるだろうか。」
「参加者の身の安全は確保できるだろうか。」
「ひとりよがりの活動にはなりはしまいか…。」
不安は不安を呼び、責任という名の重圧に押しつぶされそうだった。

そんな私を後押ししてくれたのは、ベネズエラ本国のベネズエラ人から送られてくるメッセージだった。
あるベネズエラ人の少年からは、
「Konichi’wa、そんなにも遠くに離れた地で、ベネズエラ人とベネズエラ人ではない人々とが一丸となって、私たちの国のことを考え、手助けしてくれるのが本当に嬉しい。」
というメッセージをもらい、とても勇気づけられた。参加者の間で話し合いを重ね、今回は参加人数云々よりもむしろ、開催することそれ自体に大きな意味がある、と確認し励まし合った。

また、マリア・コリナ・マチャドからSOS Venezuela en Japónに届けられたビデオメッセージは、その一言一言が、疲労感にとらわれていたベネズエラ人ホストの心に響いた。
「最後までやり抜こう。」
彼の目には再び輝きが戻った。

ついに当日

sos venezuela en japon当日は晴天の中、ベネズエラ人、日本人、その他の国からの合計14人が集まった。

私は前日の夜から心配でたまらず一切の食事が喉を通らなかったが、集まってくれた参加者は真摯な方ばかりで、私の緊張はすぐさま和らいだ。集合場所に参加者が少しずつ集まるにつれ、自ずとお互いの自己紹介が始まり、スペイン語や日本語、英語が飛び交った。言語や国籍を超えて、お互いがお互いのことを分かり合おうとする気持ちが強く伝わってきた。
バッグにベネズエラの国旗バッジを身につけ現れた方や、仕事の合間をぬって遠路はるばる参加してくれた日本人参加者の方々。
今回参加を決めた理由を聞くと、「ベネズエラ留学の経験がある」といったものから、「ベネズエラ人の歌手が好き!」といった多様な理由を聞かせてくれた。

実際にやってみて、参加したベネズエラ人からは
「これからも続けていく必要がある。」
「ベネズエラ人と日本人がつながることで、今回のような活動ができてよかった。」
というコメントがあった。日本人の参加者は
「国内で自分ができることをしたいと思ったときに、このような活動を見つけることできてよかった。」
「日本国内のベネズエラ好きとつながることができて楽しかった。」
「規模は小さくとも、大きな一歩だと思う。」
とコメントしてくれた。そしてベネズエラ人、日本人双方から
「一回目にしてはうまくできた。今後もこのような活動に参加したい。」
という声があがった。危険を自覚しつつ、活動の運営・実行に全力を尽くしてくれたベネズエラ人たちの態度には心を打たれるものがあった。

この活動の後、ベネズエラ本国に暮らすベネズエラ人から「ありがとう」という感謝のメッセージをもらった。また、活動後にはSNSを通して「今回は参加できなかったが、こうした活動を東京以外でもやってみたい」という相談も受けた。

課題や改善点はまだ沢山ある。それに規模は小さく、影響力は微々たるものだったかもしれない。しかし、今回、日本国内でベネズエラ情勢に関心を持つ方々とつながることができたのは大変嬉しい。今後もこの繋がりを大切にし、ベネズエラの事をより多くの人に知ってもらう活動を続けて行けたらと思う。今回の一歩がまた新たな一歩につながることを心から願っている。

最後に、遠路はるばる足を運んで参加してくれた方々、twitterやfacebookを通じて日々応援メッセージで活動を支援し、情報拡散に手を貸してくれた世界・日本各地の人々に対しこの場を借りて感謝を表したい。

みなさまの参加と協力、心より感謝しております。本当にありがとうございました。

当日配布したパンフレットはこちらからダウンロードできます。

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