恐怖を知れ

Know fear
2014年5月9日 Juan Cristobal Nagel

殺されたいか?

殺されたいか?

Caracas Chroniclesの人権週間を終え、疑問がくすぶる。
―ベネズエラ当局は何を求めているのか。
抗議活動を煽るつもりでいるのか。抗議活動を疲弊させたいのか。抗議活動の核となる人物を物理的に「消す」ことが彼らの目標なのか。あるいはもしかすると、国民の根本的な権利を完全に抑圧し、徹底的に奪おうと考えているのか。キューバで起こったように。

私はこうした全ての説明は不十分だと思っている。
我々がこれまで見てきたことの目的というのは、恐怖をじわじわと教え込むことだ。

既に監禁状態にある人々に発砲すること、
拘留施設に置き去りにする前に市中を引きずりまわすこと、
法廷弁護士と接触するのを認めないこと、
口では解放すると言っておきながら、帰ったら裁判所で署名を強いること、
解放された勾留者が国外退出するのを妨げること、
当局は刑罰に問われないということを誇示すること・・・
もうお分かりだろう。
「お前たちは我々を怖がるといい。」ということなのだ。

この状況には名前がある。「国家主導の恐怖運動」である。
国民が反政府抗議活動を行うのに対し、政府が国民を恐怖に貶めることで対応していると判断される場合、この言葉が用いられる。

我々はこうしたことが起こるだろうと思っていた。チャベスが死んだ当時を振り返ってみると、チャベスのカリスマ性というのは、彼が首尾よく過酷な抑制をし続けていたことにあったことが分かる。しかし、マドゥロはチャベスではない。彼はどうやらチャベスに較べて随分気が短いようだ。理論的に言えば、我々が目撃してきたことは、来るべきして来たといえよう。

それでも、今後もかなり衝撃的なことが起こることが予想されるだろう。

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