なぜベネズエラから逃げ出さないのか

べにこ

「こんなベネズエラになぜ住むのか、なぜ逃げ出さないのか」

とベネズエラ人に質問したら、なんと答えるだろう?

数多くの大金持ちやその親類たちはとっくの昔に海外にでてしまっている。自分の国より自分の財産の方が大切な人もいるだろう。(どうしてそんな財産や資産を外国に持っているのか聞いてみたいものだ)。

そうは言っても、国を出た人には一人一人いろいろな事情があったはずだ。
誘拐されたり、脅しにあったりした人もいれば、仕事を追われ、仕方なく出て行った人もいる。
しかし、移住先で仕事が見つからない、ビザが切れた、気候、水、文化に合わない、といろいろな理由で戻ってきた人も知っている。
暴動に巻き込まれて、とるものもとらず外国に逃げたが、そこで事故や大災害に遭遇した人もいる。

また、今からでも逃げ出したいと思っている庶民も多くいる。

ただし、ビザの問題、当座のまとまったお金の有無、そして仕事が見つかるだろうかという将来への不安は消えることがない。
たとえ身内や知り合いが他の国にいるとしても迷惑をかけたくない、と思う人もいるだろう。それに、病気の家族や老いた親を残しては行けないだろう。弁護士、医者などの専門職なら、言葉やライセンスなどの問題もあるだろう。

人は、長い時間をかけて培った仕事や家庭や友情をおいそれと投げ出して、見知らぬ土地でそう簡単に生きていけるものではない。どこへ行けども、育ったところの思い出や喜び、悲しみは一生ついて回るのだ。

そして、たとえうまく外国に移り住めたとしても、本当に幸せかは分からない。

一つ言えるのは、まだ大勢のベネズエラ人が、生まれ育った自分の国を心から愛し、自分や子孫のために命を捧げてでも、この国の自由と平和を守ろうと決意しているということだ。

SC20140725-220042この15年間、ベネズエラ人は民主主義の意味を身を持って体験してきた。
デモがあるたびに、現政府の経済政策や治安の悪さ、抑圧に対して、抗議のプラカードを掲げ、声を張り上げて訴えてきた。国の将来を憂いて、何万人、何十万が同じ想いを秘め高速道路を練り歩く時の連帯感は、感動で胸が一杯になるものすごい体験だ。

催涙弾や武器を構えて待ち受ける大勢の軍隊に立ち向かうため、真剣な目をした学生たちが横に腕を組み、一列になって目の前を通り過ぎていくのを見る時、どうか無事でいてくれと祈らずにはおられない。

この国のことわざに 「100年続く悪はない」とあるが、世界史を紐解いて比べてみると、15年や20年の苦痛は、この天国に一番近いと言われるぐらい美しく素晴らしい国に、神が与えた試練ではないかとも思う。

先日新聞で読んだ記事で、小泉八雲作品の朗読公演のためギリシャのレフカダ島を訪れた佐野史郎さんの言葉が目に止まった。

拳を振り上げるよりも、一番大事なことは『想う』ことだと思う。
あるべき姿とはどうなんだろう、これでよいのか、と常に考えること。
一人だけじゃなくてそういう意識が重なることで、大きな力になる。すぐに結果は出ないかもしれないけれど、あきらめではなく、受け入れつつも、浄化、濾過(ろか)していく

今ベネズエラで起きてることも、一人の力ではどうしようもない。でも、正しいと思うことを皆で積み上げていけば、いつか時が満ちて成就する日が来ると信じたい。

乗りかかった船だ。
強風が吹き大雨が降り大嵐になっても、逃げるわけにはいけない。このまま沈没するか、それとも何とか向こうの島まで辿り着くことができるか。今は皆で必死に水をかき出すしかない。

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