母子の死が意味すること

サラとセサル

Sara and César
2015年5月28日 Juan Cristobal Nagel

数日前、息子と娘を連れて一人の母親がコロの通り[1]を歩いていたのだが、母親のサラは恐怖におののいた。
息子セサルが蓋の無いマンホールの中へと落ちて行くのを目にしたのだ。

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二人とともに奈落の底へ

恐怖に襲われた彼女は、息子を引き上げようと直ぐさま下水溝の中へと身を乗り出した。恐怖の叫びが続き、そしてその後、静寂が辺りを支配した。
数日後、二人の遺体は通りを何マイルも下った水道管の中で発見された。

今回の事件は聞き及んだ全ての人を震撼させている。そして、またこの出来事はベネズエラを捕えて離さない最近の混沌状態について、非常に多くのことを語っている。
―誰も責任を取らず、一人も辞職することなく、一人の小さな女の子が母親と兄を亡くした。
この出来事は正にベネズエラの苦闘のミクロコスモスである。一個の人間が―彼女は学校教師でもあったのだが―見事な本能に従って、自らを襲った非力に対し、死に至るまでまで闘い続けたのであった。

もしこの出来事がソーシャルメディアで扱われなかったとしたら、ほとんど誰も知ることは無かっただろう。ある特異な活動家「@Ravoix」によると、多くのマンホールがむき出しのままだという。しかしながら、当局は彼がマンホールの写真を撮ることに対して、警告を発した。つまり、簡単に言うと、それこそが麻痺した軍事政権の本質といえよう。この政権は抑圧を得意とし、国民の安全を守ることを苦手とする。
『マンホールを覆うな。その情報自体を丸々覆ってしまえ。』まさにこれこそが彼らのお題目なのだ。

一方で、当局はこの大事件を政治化しようとしている。
とあるチャベス系権力が、勇気あるサラの自己犠牲が、事件そのものにおいて摩滅することを必死に望んでいるかのように、彼女を「我々のヒロイン」と絶賛するほど[2]だ。

ウィリー・マッキーは、この悲劇について、プロダビンチ紙上最も叙情的に扱っているように思われる。
こちらがそのハイライト

むき出しのマンホールが不能の徴であるどころか、もはや一つの悪しき徴候となっている、という事実を書き記すのは一体誰だろうか。恐怖と悲しみの下水溝となりつつあるマンホール。その責任を負うべき者たちは、このマンホールが、我々の嘆きや、怒り、忍耐といった苦悩の底なしの穴であることを、どういうわけか望んだのだろうか。
我々はただ、『息子を助けようとして下水溝の中に身を投げた一人の母親』は消えたのだ、と自らにつぶやくことしかできないのである。

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[1] コロはファルコン州の州都で、ベネズエラ西部最古の都市。スペイン人入植者によって創設された町並みは幅広い文化的伝統を内包する。1993年にはユネスコ世界遺産に登録(ベネズエラ初)され、2005年以降は、絶滅に瀕する遺跡のリストに加えられている。[英語版Wikipediaより抄訳]

[2]スペイン語記事の訳文は次の通り。
コロにてサラ・ロペスの遺体見つかる
先週の日曜、5月25日、ファルコン州の独立地区で、7歳の少年が蓋が無いまま設置されていた排水溝に誤って墜落した。少年の母サラ・ロペスは、彼女の呼びかけに対して息子の反応が無かったことからパニックに陥り、自らも穴の中に身を投げた。その日以来、二人は見つからないままであった。
「我らはファルコン・コミュニケーション」の代表であり、運営事務局長のミゲル・アビラは、公式Twitterアカウントを通じてロペスの遺体が見つかったことを知らせると共に、7歳の少年が見つかるまで救助活動を続けると断言した。(2015年5月28日)」

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