ベネズエラの大規模デモの前後に起きたこと

9月1日、以前から予告されていた通り、ベネズエラで野党派の大規模な抗議運動がありました。このことは多くの日本のメディアも伝えました。

ベネズエラ、大統領罷免求め大規模デモ 野党幹部「100万人参加」
大統領の罷免に向けた国民投票の実施を求めて大規模な抗議デモが行われた。野党幹部は100万人規模を動員したと主張している。AFP

ただ、残念ながら、この前後の特異な状況について触れている記事は皆無でした。そのせいか、これほど特徴的だったデモの位置付けや解釈がいまいちピンとこない記事が多い印象です。

そこで、前回の「9月1日の大規模デモの意味」に続き、今回はこの歴史的な抗議運動の前後の出来事からこのデモの意義を見ていきます。

9月1日(1S)に至るまで

各地からはるばるカラカスに集まる人々

Toma de Caracas(カラカス奪取)のスローガンの元に、多くの人が地方からもカラカスに集まりました。

特に、話題になったのが、レニン・バスティダス神父のカラカス巡礼

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この若い神父はベネズエラの危機的状況を憂い人々に呼びかけ、政府に抗議するためアンソアテギ州のエルティグレからカラカスへ徒歩で巡礼を行いました。熱心なカトリック信者の多いベネズエラでは、神父の巡礼は大きな反響を呼びました。当初、神父は9月1日の野党派の抗議には反対を表明しており平和を求めると発言していましたが、最終的に、9月1日の平和的なデモに神父自身も参加しました。

そしてインディオスの人々の参加。

チャベス政権下ではインディオスの権利の尊重は常に重要なテーマでした。そのために憲法も変わりましたが、結局のところ憲法上の文面が変わっただけで、実際には経済悪化などの影響をもろに受け、何かと苦しい生活を強いられてきたのがインディオスの人々です。以前は熱心にチャベスを支持した彼らがカラカスまで徒歩で出向きマドゥロに抗議する姿は、まさに時代の変化を象徴するものでした。

デモ直前の政治的指導者、政治活動家の逮捕

デモ当日が近づくにつれ、政府当局は突如、大胆な弾圧行為に出ます。野党政治家および野党支持者の逮捕、拘束です。

野党「民衆の意志」の政治家で元サンクリストバル市長のダニエル・セバジョスは、2014年より自宅軟禁されていました。それが8月27日の午前3時、突如SEBIN(ベネズエラの諜報局)が健康診断を理由に自宅を訪れセバジョスを救急車に乗せると、そのまま拘束、投獄しました。

続いては、2007年の反政府派学生運動の中心的人物で、ここ数年スペインに亡命していたジョン・ゴイコチェアがSEBINにより逮捕(というより実質的な誘拐)されます。ジョン・ゴイコチェアはテロの嫌疑をかけられますが、証拠はなく、あるのはディオスダド・カベジョによる告発だけでした。

このようにレオポルド・ロペス率いる「民衆の意志」党員に対する弾圧はエスカレートしており、これまでのチャベス主義政権にはないキューバのような独裁的やり方に、野党派側には動揺が広がりました。

締め出される外国メディア

さらに、今回のデモに合わせて海外から取材に来た取材陣が次々と入国を拒否されました。アルジャジーラのクルー、続いてコロンビアのラジオCaracol、アメリカのナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)フランスの新聞ル・モンドの記者が「入国不適格者」とされ、追い返されたのです。

カラカスに取材に来たマイアミ・ヘラルドの特派員は、合法的な報道ビザでカラカス入りしていたにも関わらず、移民局に拘束されパナマに送還されました。

外国の報道の締め出しにより、情報が海外に伝わらなくなるどころか、逆にベネズエラ政府の報道の自由の侵害を世界中に広めることになりました。

デモ参加者に対する脅し

9月1日を控え、防衛省は当日のドローンによる写真撮影を禁止、内務省は暴動鎮圧のための武器の使用許可を発表しました。

政府高官のディオスダド・カベジョはジョン・ゴイコチェアに対する告発に続き、野党メンバーがUCAB(カトリカ・アンドレス・ベジョ大学)に武器を隠し持ちクーデターを起こそうしていると非難、これに対して断固とした姿勢で対処するとの見解を示しました。
内務大臣ネストル・レベロルは「抗議は条件付きの権利であって、絶対的な権利ではない」と発言、カラカス首都区の市長ホルヘ・ロドリゲスは執拗に野党派がクーデターを企画していることを主張、首都区長ダニエル・アポンテは「混乱を起こす集団は治安部隊に鎮圧される」と発言、CLAPの代表フレディ・ベルナルは「木曜にデモに行くつもりの人は二度と帰ってこれると思うな」とデモ参加者を脅しました。

このように、ベネズエラ政府高官は「デモに参加する奴は有無を言わせず弾圧するぞ」というメッセージを発信していました。この挑発ともとれるメッセージを見るに、政府当局は反政府派との激しい衝突を望んでいるかのようでした。
急激に独裁色を強めた政府の動きから、ベネズエラ政府にとって9月1日の大規模な抗議運動がどれほど大きな脅威であるかは明らかで、9月1日当日は政府当局によるひどい弾圧が起きるだろうという懸念が高まっていました。

政庁ミラフロレスには行かない

デモ前日、チュオ・トレアルバMUD代表は政府との正面衝突を避けるため、デモの正確なルートを発表します。そしてマドゥロのいる政庁ミラフロレスには行かないことを決めました。政府支持者とむやみにぶつかり、混乱を起こすのは得策ではない、あくまで平和的なデモを行うというのがMUDの方針でした。

そんな中、多くのベネズエラ人が「今度のデモは今までとは違う」と肌で感じ、その今までとは違う空気に希望を見出していたのです。

そして『カラカス奪取』

カラカスへの入り口封鎖

当日の朝は、デモに参加するために多くの人がカラカスの外からも集まりました。そのため、当局はカラカスに入る道路が次々と封鎖し、抗議に向かう人々が軍などにより足止めをくらいました。それでも、最終的には多くの人が封鎖を乗り越え、徒歩でカラカス入りしました。

結果的に、これだけの規模のデモにも関わらず、懸念されていた暴力的な衝突や弾圧は見られませんでした

特に懸念された政府に連なるバイカーのギャング(コレクティボス)の姿も、カラカスでは一切見られませんでした。(ただし地方都市マラカイ「だけ」で、なぜかコレクティボスが街を襲撃、デモ参加者に対する攻撃のみならず、町中を荒して回りました。マラカイだけ、というのも奇妙な話です。つまりマラカイ以外では今回はコレクティボスは出動しない、弾圧は行わないという誰かの判断がどこかであったと考えるべきかと思います。)

一部、衝突があったことは伝えられる通りですが、それでもなお、全体的に見れば今回は当初の予想に大きく反してすべてが平和的に進んだと言えます。

政府派カウンターデモと政府による情報操作

政府側のカウターデモはかなりお粗末な状態でした。デモ参加者の正確な数字はわかりません。ですが、圧倒的な数の反政府デモに対して、政府派のカウンターデモ参加者はかなり少なかったことは明らかです。

この事実を隠すため、政府高官のディオスダド・カベジョは2012年にロイターによって撮影されたデモの写真をこの9月1日のものだとしてツイッターで拡散していました。

ですが9月1日のデモの様子や街の様子は、あらゆる場所、あらゆるアングルからSNSにアップされました。これほど多数の人が携帯で写真やビデオを撮影し、SNSでシェアし、それがあっというまに拡散する今日、数をごまかして発表することはできても、見た目の印象からくる数の違いをごまかすことは困難です。

まさかのバイロテラピア復活

また政府支持者のカウンターデモの現場では、バイロテラピアを行う政府支持者の姿が目撃されました。

バイロテラピアとはラテンのステップにエアロビクスを混ぜた、一時期南米で大流行したエクササイズの一種です。実はこれと反政府デモの間には深い因縁があります。

2002年から2003年にかけてまだチャベス人気が上昇中で野党連合MUDも存在せず、反政府がダメダメだった頃のこと。デモの期間が長引くにつれ、野党派の負けは明らかで、デモは盛り上がりに欠けていました。そこで慌てたデモ主催者は、参加者のモチベーション低下を防ぎ、手持ち無沙汰を解消するためデモの会場でバイロテラピアを始めたのです。バイロテラピアは、言わば野党派のダメなデモの象徴でした。

それを今回、カウンターデモの現場で政府支持者がやっていたのです。

昼間のデモに続くカセロラソ

カセロラソというのは鍋を叩いて抗議する一つのデモの形です。9月1日、野党連合MUDは夜8時からいっせいに鍋を叩いて抗議をするカセロラソの実施を呼びかけました。

チャベス支持者の住む地域に響く鍋叩きの音

夜8時から一斉にカンカンカンカンカンカンカンカンという音がカラカス中で響いていました。

ビジャロサでのカセロラソ

さらにデモ以上にベネズエラ中を驚かせ、マドゥロ政府を震撼させたのが、デモの翌日に起きたこの事件。マルガリータ島のビジャロサで、住民が鍋叩きの抗議でマドゥロを追い立て、罵倒を浴びせるビデオの流出です。ビジャロサは従来熱心なチャベス主義者の集まる地域として知られていました。そのような場所でのこの光景、権力も何も持たない人々が一国の大統領に対して直接鍋を叩いて抗議する様子は衝撃的であり、感動的ですらあります

#VillaRosaでネットが祭り状態になった後、政府当局はビジャロサの住民の家を一軒一軒まわり携帯を没収しました。しかし、ネットは当局の動きよりもずっと速く、現地住民20名を逮捕尋問する頃、大部分の国民はすでにビデオを見てしまっていたのです。

9月1日の抗議運動とは何だったのか

今回のデモで明らかになったのは、何よりも圧倒的な数のマドゥロに反対する人々の存在と、以前では考えられないほどに数の減った政府支持者のコントラストです。これはチャベスが政権を取って以来初めてのことでした。

このデモが大統領罷免に続くものであることは前回説明しました。これに加えて、9月1日のデモとビジャロサでの抗議で注目すべきは、ベネズエラ国民全体がマドゥロに退陣を迫る方向に動きつつあるという点です。

これまでの17年間、ベネズエラの政治は常にチャベス主義者(政府派)と野党派(反政府派)の根深い対立を中心に語られてきました。しかし、この与野党の対立という構図に変化が見られ始めています。今なお熱心にチャベスを信奉している人々も、マドゥロ政権に退陣を迫り抗議の声をあげています。

長年、野党派内ではチャベス主義者を自分たちの陣営に取り込まない限り政権奪取は不可能だと言われてきましたが、今回のデモでは、それがいまだかつてないほど現実的に感じられました。

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