38年住んだベネズエラから帰国して

e明けましておめでとうございます。

2017年のスタートとして、ベネズエラに38年間住んでいた日本人画家、小谷孝子さんの手記を紹介します。長年暮らしたベネズエラをついに離れ、今年日本に帰国されたという小谷さん。今回小谷さんは、ベネズエラでの人生や生活、ベネズエラに対する思いを、当ブログのために書いてくださいました。


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児童基金館での第一回折り紙展、当時のルシンチ大統領夫人を迎え。カラカス日本人学校長や生徒児童も参加してくれた開会日の写真。(1988)

38年住んだベネズエラから帰国して

2016年12月28日 小谷孝子

ベネズエラがどんな国か知る人は少ないだろう。ましてや今その国で何が起きているか知る人はほんの僅かだろう。

1977年、私が行ったベネズエラは南米の中でも民主主義で政治的にも経済的にも安定し人々は生活を謳歌していた。豊富な自然資源や世界でも有数の石油生産国。美しい山や透き通るカリブ海、青い大空を飛び交う色とりどりの鳥や咲き誇る花々、おいしいトロピカルフルーツに新鮮な魚類、世界中の料理が楽しめるレストランがあちこちにあった。そして何よりすばらしいのは人懐っこい優しい心の人たちだった。

すっかり現地に溶け込んで38年間カラカス郊外に暮らしていたが、しかしこの18年間の政治経済危機で治安が最悪になり、命の危険を感じとうとう精神的に参って今年3月帰国した。

未曾有の食料難

この南米の楽園は石油生産収入に頼り切っていた経済体制が崩れると、国有化された生産工場は原料の輸入が出来ず製造不能に陥り、輸入品も市場から消え、未曾有の食糧難になった。

日本の国土約4倍に住む3千万人の国民のほとんどが今、食物にも事欠くほどの極限状態に追い込まれている。赤子に与えるミルクもなくお米やパスタのとぎ汁を与え、子供は腹を空かせて今日も泣き寝入る。幼児や病人用のおしめがあると聞いて早朝から何時間も並んでも手に入るとは限らない。

ガンや糖尿病等全ての薬、風邪薬さえ見つからず、病人や怪我人で溢れる公共病院はレントゲンや各検査器具は壊れ殆ど使用不可能でシーツやガーゼさえない。

ごく普通の人が野良犬と共にゴミ箱を漁っているのをあちこちで見かけるし、空腹のあまり石鹸や毒のある芋類を食べて死亡した人も出た。

食料品だけで生活費が消え去った

この数年間スーパーで欲しいものが殆ど見当たらず、何かおかしいと気が付いて、殆ど毎日食料を求めて、長時間並びながら見知らぬ人と将来の不安を語り慰めあった。

必要でなくても手に入る物は何でも購入してきた。洗濯石鹸、歯磨き粉、シャンプー、油、粉ミルク、米、粉、パスタ、ソース缶詰類等ありとあらゆるものを買いだめした。

食料品だけで生活費が消え去ったが、すべてが店の棚から姿を消した時どんなに助かったかわからない。隣近所と物々交換したり、人への支払いを米やミルクですると手を取って感謝された。

一昔前、日本へ帰った時奮発してウォシュレットを買った。アメリカの税関でこれは何だと怪訝臭そうに聞かれ、麻薬でも隠していないかとさかんにいじくり勘繰る係員の前でぐっと我慢した。トイレット・ペーパーがないと皆が青い顔で探し回るとき、私は日本が発明したこのすばらしい器具に感謝した。

気が付いたら昔知っていた日本人は殆どいなくなってしまっていた

たまに行く中国人の青空市場で出会う日本人も、物価の高さ、治安の悪さ、これからどうなるかと皆同じことを口にした。そしてふと気が付いたら昔知っていた日本人は殆どいなくなってしまっていた。日系人の数は1977年頃1500人と聞いていた。今は確かではないが300人ぐらい*だということだ。

(*註:領事関連情報によれば、2016年10月1日時点でベネズエラに住む日本人は長期滞在者88名、永住者321名。)

今まで多くのデモに参加した

生きるための基本である食料品や薬が手に入らず、病気になっても医者にもかかれず、強盗や誘拐され殺されても、殺され損の国で生きて行くことはできない。ましてや人間としての人権を拒否され平和と自由が脅かされるとき、人の親としてどうして黙っておられるものか、外国人であるからと沈黙することはできない。

今まで多くのデモに参加したが「戻ってこなかったらベネズエラのために死んだと思ってくれ」いう言葉を母親に残し発砲弾に倒れた若者、偶然通りかかっただけで連行され拷問を受けた青年、脱いだシャツで頭をしばり上半身裸でスクラムを組み一列に並び、デモ隊の先頭を行くまだ幼さの残る学生たち目つきを忘れることができない。

「世界の旗の日」というベネズエラに住む外国人や、戦後ヨーロッパから自由や仕事を求めて移民してきた人やその子孫が、各国の旗やシャツを着て集まった日があった。大使館からのメールにはいつもデモに近寄らないようとあり、ずいぶん迷ったが、早朝目が覚めて、どこに住んでいてもその国の平和と自由のためには声をあげるべきだと思い行くことにした。

日本人の友人に電話し皆に集まってもらうよう声をかけ、夫は裏山から細い竹を切り出し、白いシーツを裂いて絵の具で赤丸を描き、ホッチキスで止めて即席の日の丸を作った。

集まった20人近くの日本人ぐらいと旗を掲げてアルタミラ広場に到着すると、すでに各国の旗をもって集合していた人たちが駆けつけてくれ、日本までが応援しに来てくれたと抱きしめてくれた。皆、他の国で日の丸をもって歩くという経験は初めてでとても感動していた。

2004年、大統領罷免選挙にサイン

夫はコンサルタントの仕事をしていたが、2004年、大統領罷免選挙にサインした。しかしながらそのリストが政府の手に渡ってからは、成す事すること全て潰され仕事が一切入らなくなった。済んだ仕事も支払ってもらえず逆に不遂行と起訴されこともある。

最初は理由が分からず、弁護士をつけたり再投資したり10年近く踏ん張ったが、ある日疲労が祟って意識を失い病院へ運ばれた。どうにか一命だけはとりとめたが、結局は会社を閉めざるを得なくなった。

当時子供達は幼く頼れる家族もいない私は慌て、自分に何ができるか考え日本語を教えることにした。ちょうど日本文化や日本食など日本ブーム時代で日本語を学びたい生徒が大勢集まり、山や谷はあったが何とか普通の生活を続けていくことができた。

我が家もとうとう全員バラバラになってしまった

しかし今年、町の広場でスポーツを指導していた娘が、警察官に職務質問を受け大衆を先導した罪で書類送検されそうになったと聞いたときは、心臓が飛び出しそうになった。後で金欲しさの偽警官の脅しだろうということになったが、機転を利かし、何とか切り抜けて無事帰宅するまで、生きた心地がなかった。

11月に80%の国民の期待を賭けた大統領罷免選挙を最高裁判所が無効にした時、長い間希望を抱いて我慢してきた彼女も国を出る決心をした。これで多くのベネズエラ人の家庭同様、我が家もとうとう全員バラバラになってしまった。

生まれ育った国を後にするのは最後の手段である。しかし仕事がなく将来に希望を見いだせず、若者だけでなく医者やエンジニア等専門職までが家族や恋人に別れを告げ、言葉も習慣も異なる国で、残した家族に送金するため慣れない仕事をして、過酷な環境に耐えている。

第二次大戦後、自由と経済安定を求めてベネズエラにやって来たヨーロッパ人の子孫が、今逆戻をしている。

親も手塩にかけた娘や息子に別れを告げるのは心を裂かれる思いだが、その身の安全を考えると心の底で安堵をし、今できるのはそれしかないと諦め、近い将来の再会を約束し空港で涙の別れをする。

Eramos felices pero no lo sabíamos

政治に関する意見は自分と違ってもそれは各人の意見だから尊重したい。しかし、今国民の80%がものすごいインフレと食べるものさえない生活に苦しんでいる。皆が望んでいることは、昔のように仕事があり一日3回食べられ安心して道を歩ける平和な生活に戻ることだ。「Eramos felices y no lo sabíamos」という言葉がよく使われる。「昔は幸せだったが、その時は気が付かなかった」と。

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カラカスデッサングループの仲間と発表したメトロ展のカタログ(1990)

ベネズエラに38年住んだ

私はアメリカに6年ベネズエラに38年住んだが、その間日本にいては出来なかっただろう素晴らしい経験や楽しいこと嬉しい思い出が沢山できた。しかしまた悲しく辛いこともあった。

ベネズエラ人学生と結婚したての時は、言葉や習慣はもちろん、食べ物さえ合わなくて離婚してやろうと毎日考えていた。勉学を終えた夫とベネズエラへ移って、同居した姑と折があわず、とても辛かった。

1981年日本から遊びに来た母と家族で出かけた帰り道、追突事故に遭い頭を打って意識不明になり一週間後目が覚めた時、母はもうこの世にいないことを知った時のどん底の悲しみ。

それから立ち上がることができたのは子供がいたからであり、のちにベネズエラ折紙協会を創立し、ベネズエラの子供達にも日本のこの素晴らしい文化を伝えることができ、多くの公私立学校や孤児院、養老院、またギアナ高地のぺモン族にも教えるなど、様々の層の人や大統領夫人等とも知り合い貴重な経験をした。

それから政権が変わりこの20年近く日常生活が脅かされ、もう我慢できないと何度スーツケースをまとめただろう。しかし我慢し忍耐を重ね、いつかよくなるという希望を失わなかったからこそ今こうやって振り返ることができ、人生は一生修行だという誰かの言葉に頷けるような歳になった。

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カラカス・フェリックス画廊での初個展 /El Nacional新聞記事(2006)

今ベネズエラに残り頑張っている友人達から来るメールに励まされ、数は少ないが日本の旧友たちに助けられている。そしてどんな時もこれだけは譲れないとずっと描き続けてきた絵が、一人日本で生きる支えとなり、明日も頑張ろうという勇気を与えてくれる。

2月末に、東洋と西洋の目で見つめてきた「女性の喜びと悲しみのまなざし」を描いた作品が銀座煉瓦画廊で発表できることになった。とてもうれしい。

今多くのベネズエラ人が必死で苦難に堪え、闘っている

ベネズエラに住んで、政治が国の将来を左右し人の運命を変え、生きていくというのは本当に大変なことだということを身に染みて学んだ。過去の歴史をみても多くの国で上に立つものは欲と権力に溺れ、民衆の苦しみなど顧みなかった。

日本も戦争に負けた後苦しい体験から学び、全国民が力を合わせ働いたからこそ今の平和な時代を築くことができた。今多くのベネズエラ人が必死で苦難に堪え、闘っているのを知っている。だからいつかかならずベネズエラにも平和と自由が戻る日が来ると信じている。

願わくは2017年がこの地球上に住むすべての人にとって平和であるように祈らずにはおられない。

小谷孝子(画家)

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品川新高輪プリンスホテルの展示案内(2016)

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38年住んだベネズエラから帰国して」への31件のフィードバック

  1. 小谷 孝子様の 手記を読んで、心臓が 飛び上がるほど、びっくりした 者です。

    私は、40代 女性で、南米のとある国(ベネズエラでは ありません)に、嫁いだ者です。南米に 住み始めて 5年弱が 経ちました。

    ベネズエラの状況が、大変なのは 日々のニュースで 知っていたつもりです。しかしながら、今回 手記を読ませて頂き、やっと 状況が 理解出来ました。

    食べる物が、得られない。医療体制も 整っていない。治安が 不安定で、外にも出られない。。。。これは、経験した人しか わからない苦しみだと、思います。増してや、外国人に とって、この状況は 過酷過ぎます❗️(どんなに、筆者が海外生活に 慣れていようとも)

    自分が、世界情勢に対して どれだけ 無知であったか。痛感しました。私に 出来る事は、まず ベネズエラの事を もっと知る事です。

    そして、どうして このような大変な 状況になったのか、歴史を遡り 知る事だと思います。原因が あって、現在が あるはずです。

    そして、小谷 孝子様の言う通り、「国民が 政治に関心を持ち、監視する事の大事さ」これに 尽きます❗️これが、どれだけ大切なのか。日本に 住んでいる時は、わかりもしませんでした。

    個人的な事になりますが。この手記を読んだ事を機に、「自分自身 真剣に生きよう!」と、決心しました。このような機会を つくって下さり、本当に 有り難うございました。

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    • くにこさんへ
      コメント嬉しく拝見しました。今世界中どこも大変ですが、南米には日本にない良いところと悪いところがあって慣れるまでは本当に時間がかかりますね。でもどこにいても自分の心に忠実で一生懸命生きるしかできません。ベネズエラには素晴らしい人がいっぱいいて今命を賭けて国のために闘っています。きっとよくなることを信じています。お互いに頑張りましょう。。

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  2. こんにちは。子供を公園で遊ばせながらヤフーニュースをみていてたまたまたどり着きました。88年当時、カラカス日本人学校の低学年で、折り紙展に行ったことも覚えています。私自身は写真にはうつっていないようですが同級生や先輩が数人うつっており、懐かしい思いでいっぱいです。校長先生は沖縄出身の折り紙が得意な温厚な方でしたね、それも覚えています。
    小谷さんのことは名前を知りませんでしたが、大変な経験をされたのですね。政治情勢などもわかりやすく、一気に読ませていただきました。いつも思い出す懐かしい国がこんなことになっていたのは複雑です。
    小谷さんとご家族の今後の毎日が平和で幸せであることを祈っています。

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    • 祥子さんへ、
      あの時歌ったり踊ったりしてくれたお一人だったのですね。30年近く経ってこうやってメールで繋がって本当にうれしいです.。折紙展での多嘉良校長先生ご夫妻の写真等を持っています。お送りしたいのですがメールアドレスを教えてください。小谷孝子(takakokodani@gmail.com)

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  3. 資源大国は資源が尽きると地獄になる。日本のようなものづくりの職人を多く輩出してなおかつ欧米を見習った合理的な生産システムを構築していないとやはり長期的な経済大国は維持できない。

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  4. 大変興味深く拝見いたしました。ベネズエラには2000年代の南米放浪時代に数回訪れたことがあり、現在は改めて南米(ウルグアイ)で生活しているのですが、息子の通う学校にも国の事情で移り住んできたベネズエラ人の子とその家族がおり、ベネズエラは以前より親しみのある国の一つではありました。
    確かに世界はアメリカ(合衆国)中心に動いてはおりますが、ベネズエラなりの時代背景もありますので、アメリカに従属しかなった政府のせいだと言っても無理がありますし、政府の指導者を選んだ国民が無知だと言っても酷な部分がありますね。日本も決して望んでいたわけではなく(戦後)結果的に(米国に)従わざるを得なかった訳ですから、何も日本政府の判断が優れていた訳でも国民が偉いわけでもなんでもないと思います。ベネズエラ自身も急に今の事態を招いたわけではなく、「何かおかしいな?」と薄々感じつつも、あれよあれよという間に谷底に転げ落ちていった(表現が適切でなければすみません)部分もあり、かと言って途中で全く舵を取り直す事ができなかったのか、と言わればそうとも言い切れないのでしょうから、まぁ難しい部分ではありますが、今後は国際機関なり周辺国なりが手を施さないといけない時が来るとは思いますし、何年もかけて立て直していくしかないと思います。
    ご近所で仲良くさせていただいているので、いつも傍にいてもらいたい気持ちは常々ですが、息子の同級生のベネズエラ人家族がいつか母国に帰れる日が来ることを望むことが、本来あるべき友達の姿なのでしょう。それは小谷さんに大しても同じ思いでいます。

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    • 多くの友人知人達が健康上の理由や、家族の身の安全のために仕方なく海外に逃れていますが、ベネズエラに残る人たちが一日も早く元の平和な生活に戻れるように祈るような気持ちで毎日を過ごしています。日本のあまりの平和ボケと物資の多さに圧倒されてますが、この”自由と平和な日本国”がいつまで続くのか怖い気もしています。ベネズエラで起きていることは他の国でも起こり得ることだと思います。国民が政治に関心を持ち監視することがどんなに大切かということを身をもって体験しました。

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  5. 初めてこのサイトを見ました。ブラジルの日本語新聞「ニッケイ新聞」の深沢と申します。この「38年住んだベネズエラから帰国して」を弊紙に転載させてもらえないでしょうか。同じ海外在住者、特に南米に住んでいる日本人として、非常に今のベネズエラのこと、気にかかっていました。ご検討よろしくお願いします。

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  6. 大変勉強になりました。
    ベネズエラの現状に興味を持ち、色々検索しても、WBCやメジャーリーグでのべネズエラ選手の活躍しか出てこないので、唯一といっていいほどの情報だと思います。
    もし可能であれば、定期的にベネズエラの現状をご報告いただけると助かります。
    ベネズエラ関連の記事をグーグル翻訳に掛けても、さっぱり意味が分からないと言ったことが多いので、例えば、現地のニュースサイトのトップ記事の見出しだけでも日本語で紹介していただけるだけでも、そこをてこに色々調べられるので、助かります。

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    • コメントありがとうございます。
      ブログの更新が滞っていてすみません。
      ベネズエラ関連の記事の紹介はツイッターで定期的に行なっています。毎日、何らかのベネズエラニュース(主に英語)にコメントをつけて紹介しているので、よろしければぜひツイッターをフォローしてください。
      @nodako

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    • 事実だというのであれば何でもいいので、具体的に信じるに足る根拠を示していただけます?妄想をふっかけられても困ります。

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    • 通貨戦争はベネズエラだけではなく世界で起こっている話。ベネズエラで起こっている事象の説明にはならない。アジア通貨危機の時すべての発展途上国通貨が下落したがBSだけはびくともしなかった事実とその理由は?石油の買い手は基本的にはいくらでもつく。正確には忘れましたがベネズエラはアメリカに精油所もガソリンスタンド網も持っている。(1995年前後に買収したはず)価格が下がる理由はシェールガス、オイルが出て来たからのみ。

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  7. ( ノ゚Д゚)こんにちは

    手品のカラクリを説明します。

    B、は石油を売って商売して生活しています。

    J、とゆう人は石油を購入してさらに鉄も
      購入して車を作って販売して生活しています。

    M、とゆう人は鉄を売って生活しています。

    V、とゆう人はお米を作って売って生活
      しています。

    B、J、M、Vは自分の商品を売る時
    Aの人が発行する紙幣で取引しています。
    そして取引するときはAの人の銀行を
    介してのみ取引できます。

    A、の人が車を購入したければ、どうするか?
    紙幣を刷ってJに渡します。
    Aは紙に印刷するだけなので源価は5円も
    ありません。
    車を作る手間の数千分の一、数万分の一の
    手間で車が手に入ります。

    同様にAが石油が欲しければBに紙幣を渡します。
    同様にAにとってはただ同然です。

    しかしある時BはAの紙幣以外でも
    石油を売りたいと言い出しました。
    A がそれを認めるとほかの人も
    同様の事を言い出します。

    そこでAはBにそんな事をゆうのなら
    銀行を使わせないと言いました。

    そしてAはほかのJやMに石油はSやKから
    購入しろと命令したのです。

    Bは石油を売る事ができなくなりました。
    Bは石油以外はほとんどほかの人から
    買っているのです。
    食料品もです。

    これがドル基軸通貨制度です。

    もちろんA、はアメリカ合衆国です。
    B、はベネズエラです。

    では($・・)))/

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  8. ( ノ゚Д゚)こんにちは

    陰謀論ですか?
    全く理解してもらてえてないし
    これだけの事を言っても
    理解しようとしない姿勢には
    非常に残念としか言い様が
    ありません。

    しかし、仕方がありません。
    多くの人がドル基軸通貨の
    手品を理解していれば今回
    ベネズエラでおきたような
    飢えて野良猫や野良犬を
    食べるとゆう事態にはならな
    かったでしょう。

    ほとんどの人が理解しょうと
    しませんし、自分には関係ない
    と思っています。
    しかし、自分には関係ない
    と思っていた多くのベネズエラ市民は
    しっかり関わる事になりました。
    ベネズエラの経済と通貨は
    滅茶苦茶になり、日々食べられない
    状況になってしまったのです。

    これは通貨戦争なのです。
    陰謀もありますが、陰謀論とは
    基本的には関係ありません。

    今現在もブログ主の財布と貯金を
    直撃しているのです。
    額面が変わらないので分からない
    だけです。

    この通貨戦争は世界中を巻き込みます。
    あなたも間違いなく巻き込まれて
    います。

    もちろん小生もです。

    イギリスもギリシャも巻き込まれました。
    状況がベネズエラと違うので皆
    わからないのです。

    いくら言っても分からないでしょう。
    仕方がありません。
    でも小生はできればこの状況を
    しっかり理解してもらい最悪の事態を
    回避して欲しいと願っています。

    では($・・)))/

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    • おっしゃることととベネズエラ経済の危機ははっきり言って、全く無関係なので、どれだけここにコメントを書かれても、無関係ですよとしか言いようがないです。

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  9. はじめまして。
    主人の仕事でニューヨークへ移り住み、ひょんなことからベネズエラ出身の知り合いができ、どんな国なんだろうと興味本位で検索してここへたどり着きました。
    知り合いは、外で子供と遊ぶこともできない国だといっていてそんなところがあるのかと話を誇張してるのかと思っていましたが私が平和ボケしてるだけたったのですね。
    日本人の方の視点でベネズエラについて知ることができてとても参考になりました。
    ありがとうございます。

    38年間も耐え続けた小谷さんがついに帰国しようと決めたきっかけは何だったのでしょうか?

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  10. ( ノ゚Д゚)こんにちは

    こんなコメントを残して
    本当に気違いのようですが、
    本当になにも知らないの
    ですね。

    なにが原因でそうなったか?
    ブログ主もベネズエラ国民も
    本当に無知です。

    そうなった原因はただ一つ
    石油です。
    石油があればサウジアラビアの
    ように世界一裕福になるはず
    ですが、ベネズエラの現実は真逆です。

    石油がある国は極端なのです。
    オマーンやクエート、サウジアラビアの
    ように裕福な国とリビア、イラク
    ベネズエラのように不幸になる国です。

    同じ石油がある国なのになぜ
    そうなのか世界で悪者の烙印を
    押されている、カダフィ大佐、
    チャベス大統領、フセイン大統領に
    しっかりわかるまで聞いてみる
    べきだったのです。
    彼ら三人も国民にしっかり世界の
    不平等の原因がドル基軸通貨制度にあり、
    どうゆう仕組みになっているか
    国民全部にしっかりした分かりやすい
    説明をしていなかったとゆうあやまちを
    犯しています。

    これら三人は正しいことを早く
    やりすぎた。その正しい事とは
    国に正当な利益が分配されるように
    ダメ裡加に逆らったそして国ごと
    始末された。
    ただそれだけです。

    石油の売買は米ドルを介して行なわれ
    それでダメ裡加は莫大な利権を
    独占してしています。

    ベネズエラとリビア、イラクはそれに
    正面切って対抗したので痛い目に
    合わされているだけです。

    ペトロダラーとドルの基軸通貨制を
    勉強してください。
    このシステムはよくできた手品である種の
    詐欺なのです。

    貿易の取引は必ずドルで行なわれます。
    それは石油が必ずドルで取引されるから
    です。ペトロダラーと人は呼びます。

    つまりダメ裡加はドル紙幣さえ印刷すれば
    日本の車、ベネズエラの石油、フランスの
    ワインが手に入るのです。
    もちろん企業なども手に入ります。

    逆らえば世界中の銀行に逆らった国との
    米ドルの取引中止を命令すれば事は足ります。

    実際に行われる事はもう少し複雑ですが
    大雑把にゆうとそうゆう事です。

    殺された三人はこのシステムを壊そうと
    しただから国ごと始末された。

    それだけです。

    もう少し目立たずにイラン、ロシア
    中獄、インドなどと連携して少しずつ
    事を行えば今のような事にはならずに
    済んだのです。

    そして今ダメ裡加は社会主義だからそうなったと
    いろいろなところで宣伝しています。

    では($・・)))/

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    • 実際に行われる事はもう少し複雑ですよね。
      私は陰謀論には詳しくないので、そのあたりのことはわかりませんが。

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  11. 政治、経済、軍事、何れも大事な事だと思いました。
    日本は安倍首相で良かった。感謝します。
    ベネズエラは結局シナに騙されて崩壊したんだな、シナを早く潰さないと、
    犠牲国増えだけ、トランプの登場は運命かもでも、シナが無くなったら
    ベネズエラは良くなるのだろうか?格差や貧困にもっと耳を傾けて行く必要がある
    ような気がします。そして僕らは何ができるのだろう?

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    • まずベネズエラの崩壊は中国が引き起こしたわけではありませんし、ベネズエラは中国の犠牲になったわけではありません。むしろ被害を受けたのは中国側ではないでしょうか。今後、政権交代したら中国との関係はまた良くなる可能性はありますし、そのためのパイプ作りを野党政治家は行っているようです。

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      • はじめまして。小生もビジネスで20年間、その後ジャイカの専門家として2003-2005年までベネズエラの女性開発銀行で協力していました。当時は石油価格が上昇し、国家予算を大幅に上回る収入があったと思われますが、おそらく国には残っていないのでしょう。その後何度か訪問したが、食料がない、薬品がないとかの問題がありました。しかし今度の状況は今まで以上に深刻なようですね。現地の知人たちが心配です。 さてドル機軸が陰謀だとかいう書き込みがありました。ラテンアメリカでは輸入するには、ドルで支払いをせねばなりません。ドルを買う自国通貨が多くの場合弱くなるので、十分なドルが入手できず、輸入もできないという現状があります。しかしそれが直接陰謀と結びつかないでしょう。

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  12. ヴェネズェラ=石油くらいの興味しか無かった国が、小谷さんの手記でとても身近になりました。また彼女のひしひしと胸に迫る文は、私にハッと襟を正させ様々な事を考え直させます。どうか1日も早く「良かったヴェネズェラ」が戻る様、そしてご家族の皆様のご苦労が終わる様お祈りしております。

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  13. 去年の6月にギアナ高地に行って以来ずっとベネズエラの事を考えていました。
    時々ボリバルのレートやニュースを見ていましたが、この手記を読ませて頂きカラカスで起こっている事が大変良く分かりました。
    日本も同じような危険性をはらんでいて決して他人事ではないと思っています。
    小谷さんの雰囲気のある素敵な作品、拝見させて頂きます。

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  14. はじめまして、、、。このやうな不条理の蔓延進行、、、存じませんでした!!!デモクラシーの自己崩壊。コノとこのワガNOdIINにはびこるポピリズムに、ひたひたとしたおののきを感じているとこでしたので、、、。なんとか調べて、2月の画廊へとおとずれます、、、こんしん合掌

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    • 日本のように平和で安泰な国はあまりないでしょう。毎日世界中の悲劇を見聞きするとき、今日もご飯が食べれることに感謝して無駄を省き食べ物を捨てられない心を持ちたいですね。銀座煉瓦画廊の個展(02,27~03.05)では、日々の生活で見かける”まなざし”を通して人間の喜びと悲しみを東洋と西洋の交じった”目と心”で描いた作品を発表します。見ていただけると嬉しいです。

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  15. 読ませて頂き感銘を受けました。平和が当たり前の日本に暮らしていかに恵まれているかと。フィリピン人の同僚がかつて申しておりました。「フィリピンは東南アジアで最も豊かで先進的な国だったはずなのに」と。政治次第で国が、人々の暮らしが容易に廃れ得ること、「Eramos felices pero no sabiamos」を肝に銘じて参りたいと存じます。ベネズエラにかつての“普通の”暮らしが戻ることをお祈りしております。

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    • 平和と自由がいかに脆い土台に立っているか、国民が政治への関心を疎かにすると全てが崩れることがあるという、どの国も学ばなければならない教訓だと思います。身をもってすごい経験をしましたが、希望と夢を失わない限りベネズエラにも必ずいつか笑って暮らせる日が来ると信じています。思いかけず多くの人からコメントをいただき励ましてもらい感謝しています。小谷孝子

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    • 「38年住んだベネズエラから帰国して」を読ませていただきました。
      ベネズエラに興味を持ったのは、ニューイヤーコンサート指揮者ドゥダメル氏が図らずもベネズエラ出身であり「エルシステマ」という制度で育ったとの事。詳しいことは分からないのですが、そのシステムの在り方は無償で若者が音楽に関わる機会を多く作り出し、音楽の力で若者を育て、音楽に夢中になることで犯罪に走ることを少なくする取り組みだったように自分なりに少し理解しています。しかし、国の動乱から抜け出すための勉強は、私達日本人には計り知れないものを本文を読ませていただいて感じます。35歳でニューイヤーコンサートを指揮するグスターボ・ドゥダメルは100年に一人と言われる天才だとしても、その努力は並々ならぬものがあり、又、国家的背景にあるとも言えます。大成した彼は、今も世界のコンサート指揮をする公演前にはその地の子供たちを教えることから始める。「シモンボリバルユースオーケストラ」やその子供達の楽器が購入できるようコンサートを開催する目的もあるようです。
      ドゥダメルの指揮は、エネルギーが解放され美しく力強い華が咲くようで…素晴らしい。

      素晴らしい自然に恵まれたベネズエラに豊かな感性が磨かれる時が来ることを願わずにはいられません。

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